サッカーのPKはどうして生まれたの?

コハク
コハクサッカーのPKは、ある人の思いつきから生まれたそうですわ。
30秒でわかる答え
コハクどんないきさつだったのか、お話ししますね。

PKは、ゴール近くでの反則への罰として、1891年に規則に加わりました。考えたとされるのは、アイルランドのクラブでゴールキーパーをしていたウィリアム・マックラムで、1890年ごろに提案したといわれています。

芝のグラウンドのゴールと、その前にあるペナルティマーク付近
ゴールの前、11メートル(12ヤード)の位置にペナルティマークがあります。写真:Richard Webb / CC BY-SA 2.0 / ウィキメディア・コモンズ

PKは1891年に規則へ加わった

PKは、ゴールの近くでの反則に対する罰として、1891年に規則に加わりました。考えたとされるのは、アイルランドのウィリアム・マックラムです。アーマー州のミルフォードという村のクラブで、ゴールキーパーをしていた人でした。1890年ごろに、このアイデアを提案したといわれています。

アイルランドから国際会議へ

アイデアは、アイルランドサッカー協会の書記ジャック・リードの手で、規則を決めるIFAB(国際サッカー評議会)へ届けられました。1890年には、反対が出そうなので提案が取り下げられ、次の年に持ち越されたと伝えられています。そして1891年6月2日、グラスゴーでの会議で、全員一致で認められたとされています。

最初は反対の声も強かった

当時は、反対の声も強かったようです。イングランドでは、この案は「アイルランド人の思いつき」と呼ばれました。選手が反則をすることを前提にした規則は、スポーツマンへの侮辱だと批判した人もいました。最初の規則は、ゴールラインから12ヤード以内での反則が対象で、12ヤードの線上のどこからでも蹴ってよかったと伝えられています。

コハク
コハク最初は「アイルランド人の思いつき」と呼ばれて、反対の声もあったのですね。

今のPKは11mの位置から

今の規則では、ゴールポストの真ん中から11m(12ヤード)の位置に、ペナルティマークがあります。自分たちのペナルティーエリアの中で、直接フリーキックになる反則をすると、相手にPKが与えられます。12ヤードの線上のどこからでもよかった最初の規則と違い、今は決まったマークの位置から蹴ります。

図:ペナルティマークの位置
ゴール11m(12ヤード)ペナルティマークペナルティーエリア線までは16.5m(18ヤード)

もっと知りたい

  • ペナルティーエリアは、ゴールポストの内側から16.5m(18ヤード)の位置に線を引いて作られます。
  • ミルフォード村の入り口にある石の台には、「PKの故郷」を意味する言葉が刻まれていると紹介されています。
コハク
コハクゴールキーパーの提案が、今は11mの位置から蹴るPKとして続いているのですわ。

3択クイズで確かめよう

PKを提案したとされるのは?

答えを見る
  1. イングランドの審判
  2. スコットランドの監督
  3. アイルランドのGK

アイルランドのGK アイルランドのクラブでゴールキーパーをしていたウィリアム・マックラムが、1890年ごろに提案したといわれています。

参考資料

  1. An 'Irishman's Notion' – William McCrum & Penalty Kicks In SoccerBeyond the Last Man(英語)
  2. The Penalty KickMilford House (Milford, County Armagh)(英語)
  3. Law 1 - The Field of PlayIFAB (International Football Association Board)(英語)
  4. William McCrum, Robert McCrum and the story of the penalty kickNotting Hill Editions(英語)

内容は 2026-10-03 時点で上の資料を確認して書いています。研究が進んで説明が変わることもあります。写真のクレジットは各写真の下にあります。