サッカーのPKはどうして生まれたの?

どんないきさつだったのか、お話ししますね。PKは、ゴール近くでの反則への罰として、1891年に規則に加わりました。考えたとされるのは、アイルランドのクラブでゴールキーパーをしていたウィリアム・マックラムで、1890年ごろに提案したといわれています。

PKは1891年に規則へ加わった
PKは、ゴールの近くでの反則に対する罰として、1891年に規則に加わりました。考えたとされるのは、アイルランドのウィリアム・マックラムです。アーマー州のミルフォードという村のクラブで、ゴールキーパーをしていた人でした。1890年ごろに、このアイデアを提案したといわれています。
アイルランドから国際会議へ
アイデアは、アイルランドサッカー協会の書記ジャック・リードの手で、規則を決めるIFAB(国際サッカー評議会)へ届けられました。1890年には、反対が出そうなので提案が取り下げられ、次の年に持ち越されたと伝えられています。そして1891年6月2日、グラスゴーでの会議で、全員一致で認められたとされています。
最初は反対の声も強かった
当時は、反対の声も強かったようです。イングランドでは、この案は「アイルランド人の思いつき」と呼ばれました。選手が反則をすることを前提にした規則は、スポーツマンへの侮辱だと批判した人もいました。最初の規則は、ゴールラインから12ヤード以内での反則が対象で、12ヤードの線上のどこからでも蹴ってよかったと伝えられています。

今のPKは11mの位置から
今の規則では、ゴールポストの真ん中から11m(12ヤード)の位置に、ペナルティマークがあります。自分たちのペナルティーエリアの中で、直接フリーキックになる反則をすると、相手にPKが与えられます。12ヤードの線上のどこからでもよかった最初の規則と違い、今は決まったマークの位置から蹴ります。
もっと知りたい
- ペナルティーエリアは、ゴールポストの内側から16.5m(18ヤード)の位置に線を引いて作られます。
- ミルフォード村の入り口にある石の台には、「PKの故郷」を意味する言葉が刻まれていると紹介されています。

3択クイズで確かめよう
PKを提案したとされるのは?
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- イングランドの審判
- スコットランドの監督
- アイルランドのGK
アイルランドのGK アイルランドのクラブでゴールキーパーをしていたウィリアム・マックラムが、1890年ごろに提案したといわれています。
アイルランドのクラブでゴールキーパーをしていたウィリアム・マックラムが、1890年ごろに提案したといわれています。
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- An 'Irishman's Notion' – William McCrum & Penalty Kicks In SoccerBeyond the Last Man(英語)
- The Penalty KickMilford House (Milford, County Armagh)(英語)
- Law 1 - The Field of PlayIFAB (International Football Association Board)(英語)
- William McCrum, Robert McCrum and the story of the penalty kickNotting Hill Editions(英語)
内容は 2026-10-03 時点で上の資料を確認して書いています。研究が進んで説明が変わることもあります。写真のクレジットは各写真の下にあります。



